外遊帳 2014 秋

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12月27日〜1月1日 ノスタルジーな旅

12月の末に小学校時代の同級会をするので出席してくれないかという突然の手紙が来たのは、9月の終わりだったろうか。
小学校の同級生だった彼女の名前を思い出すのには、ほんの少し時間が必要だった。

小中学校の友人で、私の消息を知っている人間は一人もいないので、手紙が来たこと自体に驚いた。中身を読むと、実家の父親に連絡先を聞いたという。
後で親父に聞くと「なにか信用できそうな人だったから。」とのことだが、大方、久しぶりの女の声に鼻の下を伸ばしつつ簡単に住所を教えたのだろう。

同窓会などというものには、これまで一度も参加したことはなかったが、その時担任をしてくれた担任の退職祝いも兼ねているというし、相当気合の入った(来るわよね。絶対来てね。来ないと北海道まで連れに行くわよ的な)手紙だったので、出席することにした。

しかしまあ、その同窓会だけで東京行きを決めたかというと、実は、出席を決めた理由は、他に二つある。
1つは、私が上京することを聞いた弟が、ある身内と会う機会を作ると言ってきたことだった。
彼女とはもう20年も会っていなかったが、私が酒でも飲みつつ話したいと前に言っていたのを弟が覚えていて、セッティングしてくれたのだ。

それともう一つは、高校時代の友人に会うということだ。この友人とは15年ぶりになる。
彼との出会いは私の人生の中で最も重要な出来事だった。
彼と出会う前の私は自分のことが大嫌いだったが、彼と出会った後から、自分のことが徐々に好きになっていった。
いや、正確に言うと、好きになるよう自分を変えねばと思い始めたというべきか。
何がどうっていうのは、また次の機会に譲るとして、とにかく彼は私にとって、本当に大切な友人なのである。



27日に東京に着き、久しぶりに会う身内と弟夫婦と私との4人で 小洒落た日本酒バーで飲んだ。
私も、たぶん相手も少し緊張していたと思う。実際に話したことの何倍も話したいことはあったが、話さなくてもお互いに話したかったことの大部分は伝えあったのだと思う。別れ際、駅の改札で私は彼女を軽く抱擁し、彼女は短い言葉をつぶやいた。それは、たぶん彼女がずっと言えなかった言葉だったのだと思う。

翌28日、父親のウチに弟夫妻が来て、弟の奥さんと私の合同誕生会を開いた。父親は酢豚を作り、弟夫妻はケーキを買ってきた。
私は弟の奥さんへ、ボヘミアガラスのぐいのみをプレゼントした。
昨日の飲み屋の2次会で話したのと同じ話を私がすると、弟夫婦がウケていた。そういえば、2件目の記憶はあいまいだ。
そんなに酔ったつもりはなかったが、うん、まあそれもいつものことではある。


これで酒を飲んだら、美味いだろう。

29日の同窓会には20人弱が集まった。
楽しく懐かしい時間を過ごした。旧友と話しているうちにどんどん当時のことを思い出す。
普段は物忘れが激しく、忘れていく頭を叩きつつ「なんだこの脳!」などと脳を罵っているが、思い出せないことより思い出すことの方が多いという貴重な一時を、過ごすことができた。
小学校中学校で一緒に悪さをし、一番会いたかった友人がいないのが本当に残念でならない。彼は数年前に事故で亡くなった。
彼がまだ生きていたら、きっと私はもう一晩、今度は彼と二人で飲んでいただろうと思う。そして、愉快で幸せな飲みになったろうと思う。

30日は、東京からバスで数時間走った所に住む変わった友人に会いに行った。
少し変わった所で、奥さんと猫と暮らしている彼は、少し変わった生活をしていた。
二泊させてもらい、中日は、近くにある私の父の実家と祖父母の墓に連れて行ってもらった。
どちらも、最後に訪れてから20年以上たっている。
花すら買っていかなかったが、枯れた花を片づけ、ゴミを拾い、その後、スマホで父や弟の奥さんの動画を墓に見せてやった。
死後の世界は信じていないといいつつ、行動に一貫性がないのは、自分でもよくわからない。


素晴らしい山々を見ても、子どもの頃は何とも思わなかった。

詳細は絶対にHPに載せるなと言われ、それを承諾したから何も書けなくて残念だが、30日〜1日の朝にかけて彼と随分長く話をした。

お互いの仕事の話をした。
お互いの子どもの頃の話をした。
お互いの妻との出会いの話をした。
共通の友人たちの話をした。
右翼と左翼と自虐史観とヘイトスピーチの話をした。
世界と旅の話をした。
サッカーの話をした。
宗教と死後の世界の話をした。
彼は、出会った当初、私のことを嫌な奴だなあと思っていたと、25年以上たって初めて告白した。
犬や猫をペットショップから買うのはあり得ないということで意見が一致した。
これまでの時間を必死に埋めようとするように、我々は、たくさんの話をした。


友人の家の猫。おとなしくて性格の良い猫だった。



夜も朝も昼も話をしたが、もっと聞きたいことや伝えたいことがあった。
ある瞬間には、率直に話しているようで、何かに気を使いながら話している自分に気付きながら、それでも話を続けていたかった。
それは、15年前には、おそらく抱いたことのなかった感覚であっただろう。

こうして5泊6日の旅は終わった。

色々と詳細を書けないことばかりなので、わけがわからないUPになってしまって申し訳ない。そんなことは本来HPに書くことではないのかもしれないのは重々承知なのだが、このサイトがすでに誰かのために役に立つというような意味もなく、ただ自分のための記録という要素が強くなっていることをふまえ、勘弁願いたい。私にとって、ココはサイトという開かれた形式をとりながらも、極めて個人的なページでもあるのだ。


ジョウビタキを撮ろうと、長いレンズを持って行った。



12月14日(日) 湿原に幻を追う 2014

今年も行ってきた。湿原に幻を追うシリーズだ。
今回は、昨年とは違う方法でアプローチした。

出発時、地元の幹線道路にある温度計はマイナス14度、現地はもう少し温かいとは思うが、厳寒の一日になりそうだ。
日の出前に駐車場につき、目当ての場所を目指した。じきに日が昇って来た。
いつもの場所にタンチョウのつがいがいた。エゾシカは同じ顔をしてこっちを見ている。川のほとりの木にいたオジロワシは私が近づくと逃げたが、カラスはそのまま逃げずに枝にとまっていた。水たまりも、土も、枯れた葦も、全てが凍りついていたが、その上を歩くと、それぞれに音や感触が違った。
そんな風に見えるもの感じるものを楽しみながら、湿原の奥へと踏み入った。


朝日に照らされる鹿たち。長いレンズや三脚があれば絵になるところだが。

釣りを始めたのは、車を下りてから2時間以上たってからだった思う。
長い距離を歩いてきたので、寒さは全く感じなかったが、1日中マイナス気温だったのは間違いないようだ。
数投でガイドは氷つき、ルアーも氷の膜で覆われた。
川上からは絶えずシャーベット状の氷が流れてきており、釣りにくいことこの上なかった。
たまに、アメマスらしい影がルアーを追い掛けてくるのが見えたが、ヒットさせることはできなかった。


ガイドが凍ってラインが巻けなくなり、ルアーに氷が付着して泳がなくなる。

予定していた核心部を数百m超えたところで、枝に足をとられて転倒した。
竿を腕や体の下敷きにしたりして折らないようにと、転んだ瞬間に前方へ軽く放り投げた。
先ず体に痛みがないか確認し、その後竿先を確認した。
大丈夫、無事だ。と、思った時、リールのハンドルが折れているのが目に入った。
寒さで強度が下がっていたのであろう。


幸い、予備のリールを持ってきていたので事なきを得た。だれか、ハンドル頂戴。






数匹のアメマスが相手をしてくれた。


近くの枝にとまったベニヒワは、私を恐れなかった。

午後になると流れてくる氷がやっとなくなって釣りやすくなった。
何匹かのアメマスが遊んでくれたが、結局イトウは顔を出してはくれなかった。

帰る途中、右足の踵と、左足の脛が痛み始めた。
踵はわかる。靴ずれになりかけているのだろう。
GPSによると、車までの総移動距離は24.5kmだった。

脛が痛んだ理由は車に着いてからわかった。
最後に川を渡って濡れたウエーダーとウエーディングシューズが、いつの間にかカチカチに凍って、脛を圧迫していた。
固く可動部分のない、まるで氷のブーツのような靴のヘリが、脛にあたっていたのだ。

早くそのウェーダーとシューズを脱ぎたかったが、靴ひもも固く凍っていてほどくことができない。
車のマフラーから出る暖気で温めてみたがそのくらいでは全く解ける気配がないので、あきらめてウエーダーのまま車に乗り込んだ。
紐がほどけるようになるまで、30分もかかってしまった。


美しい残照が湿原を染めるが、焦りと未練で景色を楽しむ余裕はなかった。


ついに湿原の葦の向こうに夕日が沈んだ。車までは、まだ遠い。

ボロボロの体になっても、帰りの車の中で考えているのは、やっぱり次の釣行のことだ。
次の日曜に予定されている釣行では、どう釣るか。一つ場所でどう粘るか。それともたくさんの場所を広く打つか。

さて、コレを書いている現在、日曜日の釣行はキャンセルすることになってしまった。
色々と調整しようとしたが、なんともならなかった。
日曜日に痛めた足は、今日(18日)もまだ痛むので、どちらにせよ釣行は難しかったかもしれないと、自分を納得させる。
というわけで、2014年の釣りも、この日で終了だ。

2015年こそは、絶対この川でいいイトウを釣るぞー!絶対釣るぞー!何回も行くぞー!


11月30日(日) ナキウサギ納め

午前中仕事があり、午後ウチに帰るか山へ行くかという二択。妻は髪を切りにいくと言っていたから、帰るともれなく娘たちが『あそんでくれ』と言うに違いない。
うむ。やはり、山へ行こう。

というわけで、ナキウサギの山へ。
双眼鏡で山の上の方を見ると、登山道に雪が積もっているように見える。
今日履いているのは夏用のスニーカーなので、登山はきついなあと、予定を変更して安楽な方のナキウサギのガレ場に行った。

たま〜にピチッと鳴くぐらいで、ほとんど姿を見せなかったが、何度かは現れてくれた。
天気予報では数日後に雪が降るということなので、今シーズンのナキウサギは最後になりそうだ。

この後は、あと数回川で釣りをする予定。そしてその後はモモンガと冬鳥だ。
毎年おんなじだな。



11月29日(土) 対岸にいた人と釣りに行った

掲示板のやり取りの後、みっしーさんに連絡を取ったら一緒に釣りにいけるというので、まつさんも誘ってアメマスを釣りに行った。
みっしーさんと釣りをするのは、いつぶりであろうか。

『のんびり釣ろうぜ』ができる前からあった『ルアーマンみっしーのページ』の管理人であったみっしーさんとは、もう随分長い付き合いになる。十勝を代表するアングラーが集まる『まあきち杯』は、復帰を望む声が未だ跡を絶たないが、その大会に3回とも参加したのは彼だけである。また、かつて彼のHPには『十勝川アメマス情報』という十勝川のアメマスに関する掲示板があり、お世話になった人も相当数いるのではないか?私は、彼のサイトが閉鎖される直前に開設予告された『おねえちゃんを釣る』というコーナーに期待を寄せていたのだが、そのコーナーが実現する前に、彼のHPが官憲により強制的に閉鎖となったことが、今でも本当に残念でならない。車の中で交わした彼のおねえちゃんトークはまだまだ健在であったから、ほとぼりが冷めた頃、是非復帰してもらいたい。

というかんじで、釣りなんてものは、2の次という気分で楽しんだ今日の釣行だった。
早々にまつさんも合流して、おしゃべりをしながらのんびりとした釣りができた。
魚は先週よりもさらに出なかったが、みっしーさんは、まだ誰も釣っていない中60UPを2匹連続で釣りあげた。
私は、2つのポイントではアタリすらなかったが、最後のポイントで40cmぐらいのと60UPの2尾が釣れ、それで満足した。
気温は朝からプラスだったし風もなかったし、水は澄んでいたし、人も魚も少ない釣りだった。
魚は多い方がいいけど、そうすると人も多くなるからなあ。


古い付き合いの二人だけど、この3人でそろって釣りをしたことはないのではないかなあ。


62cmあった。先週も今週も魚を持っているところを写真に撮ってもらって嬉しい。

11月24日(月) 対岸にいた人


入って2時間ぐらいはガイド凍ったが、気持ちのよい天気だった。

入釣した場所の対岸は遠浅になっているようで、フライマンが3人ほどいた。しばらく釣っていた彼らも、結局フライロッドが曲がることはなく帰って行った。
その後、入れ替わりに入ったルアーマンが、一か所で何匹か魚を上げていたのだが、それが、知り合いのみっしーさんだということを帰宅してからの彼との掲示板でのやり取りで知った。その時点でまだアタリすらなかった私は、ああ、全くいないわけじゃないんだなあと、ちょっとやる気をもらっていたのだった。こんな書き込みだ。


3連休中、一年ぶりにアメマス狙いで十勝川への釣行を画策しまして、
一人で行くのも寂しいので、中一になる息子を誘ったのですよ。
父「十勝川にアメマス釣りに行かねえ?」
息子「水曜日試験だから行かない」
チーン!!
「おまえな、試験なんか放って置いて、アメマス釣りに行こうぜ」と心の中で叫びながら、
「そっかー」と悲しく返事をする父なのでした。

さらに、かみさんのパートの送り迎えに行く関係で
釣りができるのは10時から13時までの3時間。悲しい・・。

でも、まあきちさんとか、まつくんの車に乗せてもらえたら
もっと長い時間釣りができるなあ。
でも、図々しいかなあ。とか思いながら、
結局一人で向かった十勝川。

いざ、一投目。ビュー、ボチャん。あれー、ライン超短いぢゃん。
これじゃポイントまで全然届かないよ。と思いながら車に戻ってリールを交換。
再びポイントに戻ると、さっきフライマンが釣っていた
良さそうなポイントが空いているではないか。
フライマンに負けじとウエーディング。

気を取り直して、キャストー。今度は気持ちよくスプーン飛んでいく。
程なく最初のヒット。アメマスの首ふりを楽しみながら難なくキャッチ。
でも小さい。40ないじゃん。

その後、同サイズを何本か追加した頃、全然釣れていないと思われる
対岸のルアーマンに対して、「どうだい君、釣れているかね。」
対岸にポイントを変更したらどうだい。」と、心の中でほくそ笑んで、そっちを見ると、
近くのフイラマンに写真を撮ってもらっている。
どうやら、いいサイズをキャッチしたらしい。
くそー、ちょっと自慢げに見ていた自分が恥ずかしい。

聞こえてきた、そのルアーマンとフライマンの会話によると、
「向かいで釣っているルアーマンは、アメマスが溜まっているのか、連続で釣っていましたよ」らしいことを言っている。

いやよく見ているね君。でも小さくて恥ずかしいから自分の話題は止めてくれ。
それと、なんで君はアメマス釣りなのに熊鈴をぶら下げているのかね。
そして君、声が「まあきちさん」に似ているね。

まさか・・、でもそんなわけないか。
人違いかも知れないのに、対岸の釣り人に「まあきちさんですか?」
などと、声を掛けられないなあ。

と思いながら、赤いベストに熊鈴を付けた、声がまあきちさんに似たルアーマンが、
まだ釣っている十勝川を後にした、自分でした。


って、本物のまあきちさんでした。声かければ良かった。orz

とまあ、そんなこんなで40cm以下が4,5匹と60UP2本という釣果は、去年今年の状況としては上出来だったのではないか?



63cm、65cm以外が40cm以下というのがちょっと気になる。40cm、50cm台はいずこに?

11月9日(日) ナキウサギ祭

下の娘が金曜日の夕方から高熱を出して下がらないので、この日はナキウサギに会いに山に行った。

意味不明?

よし、じゃあ説明しよう。

次の日10日(月)は、年に何回かある平日休みで、同じくこの日たまたま休みのNさんと、「どっか釣り行こうね♪」「うん♪」ってことになっていたけど、きっと下の子は月曜日学校を休むハズだから、そうなると子守りはボクで、貴重な平日釣行もおじゃん(おじゃんって死語かな)となってしまうから、日曜日のウチに遊んどかなきゃならないけど、土曜日は飲み会だから、朝早くから遊ぶのはちょっと辛いので、昼からナキウサギに会いに行ったってそういうわけ。

山の下についたのは12時ごろだった。
1週間ほど前に雪が降ったけれど、上の方の北側の登山道に少し雪が残るぐらいで、後は歩きやすかった。





岩場に着くと、2人ずつ2組の登山者がいた。動きから、ああ、ナキウサギが向こうで出ているのだなあということがわかった。今日は期待できるかなと思ったら、自分の近くでもキチッって声がして、見るとすぐ近くの岩にナキウサギがいた。

先行者たちは、その後すぐに下山し、それからは私一人でその山を独占した。
天気が良く、風もあまり強くなかった。ナキウサギは次々と現れてくれた。


あちらこちらで、顔を出してくれた。


前歯が見えている。


まんまるい。

はっぱ食べてる。


尻。

夕日を浴びるナキウサギを撮りたいなあと思っていたが、少し曇ってしまったので、3:30ごろ岩場を後にした。
帰りに、オオワシが現れた。


オオワシ。

岩場で登山靴の底が少しはがれて来ているのに気付いていて、「下山したらボンドでも塗って修理しなくちゃなあ。」と思っていたのだが、下山途中で完全に剥がれてしまった。
その靴は、15年ぐらい前に、山用品店で安売りしていたのを、妻とお揃いで買ったものだった。
壊れた登山靴を眺めつつ、また一人哀愁のカサブランカなまあきちなのであった。


下山してしばらくすると、ここまではがれた。


途中で、完全に壊れてしまった。これでは修理は無理だ。


ところで、これを書いているのは翌月曜日なのだが、案の定、娘はまだ具合が悪く、私は家にいる。
なんか、休日って気がせず、仕事で家にいる感覚になってしまったので、ゴロゴロせずに朝から家の諸々を片づけた。
洗濯機を動かしておいてから、飯を食べた。と言っても、昨晩の残りを温めなおしただけ。娘は食欲がないというのでリンゴを剥いてやった。洗い物をして、洗濯物を干した。身支度を済ませてタイヤとオイルを替えにガソリンスタンドへ行った。40分かかるというので、スタンドでコーヒーを飲みつつ文庫本を読んだ。娘に借りたまま長い間読みかけになっていた本は、意外に面白く読めた。タイヤ交換とオイル交換とガソリン満タンで1万5000円の出費。財布が軽い・・・。

帰りにスーパーで買い物をした。夕飯はタラとほうれん草と豆腐の鍋に決めた。上の娘は鶏肉が好物なので冷蔵庫にあった鶏肉も入れよう。ネギも入れよう。まいたけも入れよう。うどんも入れよう。じゃあ、ビールも必要だな。と、第3のビールを箱買した。さらに財布が軽くなる・・・。

帰ってから、物置で熟成させていた味噌の表面のカビをとって1kgだけタッパーに移しかえて冷蔵庫に入れた。春に作った味噌がやっと食べごろだ。今年の味噌はどんなできか楽しみだ。その後、部屋を片付けて掃除機をかけた。娘が腹が減ったというので、昼飯には温かいひやむぎ(ん?なんかへんか?)を作った。

食事の後、しばらくためてしまった酒の瓶とカセットガスを片づけた。酒の瓶を洗って、カセットガスに穴をあけて(10本もあった)、それぞれ袋に入れた。今日は資源ごみの日だったので、朝やればそのままゴミに出せたのに残念。ついでに、テニスラケットのグリップテープを巻き替えた。もうやることがなくなっちゃったなあと、時計を見ると13時。じゃあ、次はHPでも更新しようかっていう感じで今に至ったというわけだ。

今日の結論は「専業主婦って楽」ってこと。妻の収入が今の倍なら、私は専業主夫になりたい。まあ専業主婦には専業主婦なりの大変さはあるのだろうけれど、どんなに完ぺきに家事をしたって、1日8時間は必要ないよなあ。きっと。専業主婦の人がコレ読んだら「たまにちょっとやって、何言ってんだ!」って怒るかな。まあ、専業主婦の人はこのサイトにはあまり来ないと思うのでよいでしょう。


10月26日(日) 湖でニジマスを釣った。フライって釣れるなあ。

驚いたことに昨日の筋肉痛はなく、「さすが俺」と同僚にメールを送ったら
「あなたの筋肉痛は、次の日にはでないでしょ」と返信が来た。ごもっとも。


寒いかと思ったら、晴天で最高のコンディションだった。

苦戦するだろうなあと思っていたが、開始してすぐに40cmほどの元気なニジマスが釣れたので、おっ、もしや行けるか!?と期待を上方修正した。
が、その後、ずーっとアタリがなくなってしまった。
最初の魚の写真を撮ろうとした時、魚が跳ねて逃げちゃったので「こういう時に限って、最初の一匹だけってことがあるんだよなあ」って言っていたら、本当にそうなりそうな状況だった。やっぱり下方修正。

一緒に行ったNさんはフライでビシビシと連続で魚を釣りあげているので、魚がいないんじゃなくて、釣り方の問題なのだと思う。ただ、ルアーでは厳しい状況であることは間違いないと思う。

その後、ロッドの先を深く湖の中に突っ込んで、できるだけ深い所をさぐってやると何度かアタリが来たが、結局、釣りあげられたのは40cmぐらいと20cmぐらいのニジマス2尾だけだった。


アメマスをNさんが釣った。この湖で初めてみた。

14:30ごろ、
「フライちょっとやってみんか」
と、あまりに釣れない私を見かねて、Nさんが声をかけてくれた。

湖でフライをするのは初めてだったし、沈めて引っ張る釣り方も初めてだったので、投げるのも引いてくるのもぎこちなかったが、投げてすぐに魚が掛った。
おい、こんなんで釣れるのかよと、結構良い引きをするその魚を寄せてみると、そいつは、でっかいウグイだった。




しかし、フライは釣れるなあと思った。
川でも湖でも、我々ルアーマンが釣れない時にフライマンが釣りまくっているという状況を、これまでも何度も目の当たりにしてきたが、自分でやってみるとやっぱりなあと感じる。
何時間も一度もアタリのなかった場所から、何度も魚が出る。


このニジマスは良くひいた。最高に楽しいファイターだった。

下手くそなもんだから、絡ませたり、上手く投げられなかったりで、時間のロスも多かったけれど、それでも魚の反応の多さが全くルアーと違う。
45cmほどのニジマスを2尾釣らせてもらい、強烈なファイトも堪能することができて、来シーズンは道具を買おうと決めてしまった。
Nさんが営業マンなら大したもんだ。


これも上の写真の魚ぐらいの長さがあるのだが、今度はそれほどのひきではなかった。

家に帰ると、妻が「筋肉痛だ」と30分毎に言った。まあ当たり前のことであるが「筋肉痛だけど、たまには心地よいね。」などとは言わなかった。
「あなたの筋肉痛は、次の日には出ないでしょ」と言おうと思ったけど、止めた。

10月25日(土) 家族4人で初めて山に登った 〜剣山〜


一度登ると、下界から眺める気分が昇る前とは違うものになる。

家族みんなで山に登った。
日高山脈にある1200mほどの低山だが、山頂はとがった岩場になっていて、登山心をくすぐられる山だ。
私の持っている『夏山ガイド』には、登り3時間、中級と書かれていた。

上の娘は体力があるので心配はないが、今回は1年生の下の娘が心配だった。さらに、散歩をしてもハアハアあえぐ運動不足の妻はもっと心配だ。

9:15に登り始めた。天気は良く、温かい。
娘たちは「みんないくぞー」「おう!」などと言いながら先にどんどん登っていく。

下の娘も予想外に楽しそうだ。すぐに足が痛いだの、まだつかないの?だのと言い始めると思っていたが、意外だった。一歩が大人よりも随分短いので、大人なら一またぎの段差でも、よじ登らなければならないので随分と疲れるだろうと思うのだが、結構ひょいひょいと越えていく。

上の娘は予想通りだ。登りやすそうな木や見晴らしの良さそうな岩があると登って寄り道しつつも、妹や妻をさりげなく気づかいながら歩く余裕を見せていた。


登りやすそうな木を見つけて登る娘

1時間半歩くと一の森についた。標高900m。丁度ルートの半分ぐらいの場所だ。
ちょっと先にある展望台からの絶景を見て、子どもたちのテンションはあがり、その直後に現れたシマリスがさらに子どもたちを喜ばせた。
冬眠前の餌集めに必死で、私たちが近づいてもさほど怖がる様子はなく、随分近くで可愛い姿を見せてくれた。
「初めてみた〜♪」と娘たちは嬉しそうだ。



その後、ロープを伝う急登や、頂上直下のハシゴなどをクリアして、山頂に着いたのは12:50。3時間半の登りであった。
先に登った人たちは、もう下山しており、頂上は我々と1組のカップルだけだった。狭く何人もがゆっくりするスペースなどない頂上なので、ゆっくり登ってきたことは却ってラッキーだったようだ。

風が強く、立ちあがると吹き飛ばされそうで少し怖かったが、上の娘はそれでも一番高いとがった岩の上にすっくと立って、絶景を楽しんでいた。
この山の頂上は切り立った岩場になっており、高度に弱い人なら大人だって怖がってあがれない。彼女はどこかネジがゆるんでいるのであろう。まあ、私も全く平気な方なので、ネジがゆるんでいるというより、遺伝情報の中にネジなどなかったということかもしれない。


山頂の岩に剣型の金属が刺さっている。


下の娘もがんばって、頂上を極めた。さすがに彼女はココは怖いらしい。


生まれながらにネジのない人。

7時間の登山を終えて、車に戻った時には、辺りは暗くなりつつあった。

娘たちは、「つかれたけど、楽しかった。また行こうね。」と言った。
妻は、「つかれた。」とだけ言った。

その後、就寝まで妻は30分おきぐらいに「はあ。つかれた。」と言った。
「つかれた」の後に「でも、いい景色だったね。」とか「けど、気持ちよかった。」とか「楽しかった。」とか「運動になった。」とか「リス、かわいかったね。」とか「また行きたい。」とかは最後までつかなくて、私はとても残念だった。

子どもが大きくなった後も、一緒に行けたらいいなあと思うんだけどな。

10月13日(月) 紅葉とブラウン



3連休は3日とも仕事だったが、3日目の午後だけ空いていた。
空いていたって言っても、その午後は翌火曜日の仕事の資料作りをする時間だったのだけど、もうそんなの知ーらないって釣りに行った。
いいのいいの。仕事のために生きているわけじゃないんだから。


林道の紅葉がとても美しかった


少し風が強く、気温も低く感じたが、ダム湖に下りると山が風を止めてくれているのか、比較的穏やかだった。
先日Nさんに頂いた浮き輪と、ナチュラムで買った安物の足ひれ、それに急いで応急措置した穴空きウエーダーで湖のブラウンに挑んだ。気合はそれほど乗っていなかったが、林道の紅葉が息を飲むほどの美しさで、来てよかったと思った。それでこの日は、ほぼそれで満ち足りてしまった。
こんな風に満ち足りた日は、欲と集中力がなくなり、あまりいい釣果にはならないのだが、この日は違った。


この季節は、湖に浮いているだけで気持ちがいい

前回よりも魚の出は悪く、釣りあげた魚は5,6匹で、ニジマスがほとんど釣れなかった。
でも、数時間後、突然大きな魚がルアーに襲い掛かり、ぐーっと潜ってドラグを鳴らした。
まずは岸から引き離して、障害物に潜られないようにした。
強く重いが、それほどの苦労もせずに寄って来た。
ネットに収まったブラウンは、なかなかの大物で、57cmあった。

この日釣れたブラウンは大きいのが多く、この最大魚の他にも40cm台の魚も複数匹釣れた。


57cmあった。

いい釣りだったが、最後に私らしい失敗をしてしまったのだが、この失敗はまたいつか話そうと思う。
大きいのが釣れていい気分だったのが少々目減りしてしまって残念だったが、まあ、いいか。


いい魚だった。でも、前にバラシた奴よりは小さい。


10月8日(火) 皆既月食を見た

2007年の夏に上の娘と見た時に、写真に撮影してこのHPにものせた。
その時、彼女は5歳になる直前だったのだが、一緒に月食を見たことを12歳になった今でもよく覚えていた。今年は1年生の下の娘も一緒に眺めたが、果たして、この日のことを大きくなるまで覚えているだろうか。

少々寒かったが、ビールを飲みつつ月が欠けていくのを眺めた。

皆既食が始まって暗くなると、今まで月明かりで隠れていた星が輝きだした。
月の横に天王星が見えた。




18:14 下の方がうっすらと影になっている。 18:29 18:50
19:14 19:30 皆既食が始まった 19:50 皆既食の最大ごろ
20:31 皆既食が終わった 21:20 21:33 部分食の終わり